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自己紹介 |
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![]() 皆様はじめまして。こうしてお目にとめていただき、心より光栄に思います。 わたくしたこと申します。 たこと申しましても、空に飛んでいる 凧ではございません。ましてや、いたーいタコなどではありません。海にいる、 スミを吐くたこなのです。 もちろん本名ではございません。あだ名です。でも、すぐに怒って真っ赤になるから でも、体が柔らかいからでもありません。単にドイツ人が私の名前をこう呼び間違える からなのです。最初のうちこそ一々訂正もいたしましたが、そのうち面倒くさくなり、 好きなように呼んでもらうことにいたしました。最近はTOKYOなどと呼ばれることも ございます。部屋のドアにたこの絵を描かれたり、ドライヤーに油性ペンでたこと 書かれたり、たこの真似を強要されたりするのにも、もう慣れました。人間、些細な 事に対してはあきらめが肝心です。 このHPを開設してから、日本人からも「たこ」と呼ばれるようになってしまいました。 どうやらこの名前の印象は強いようです。 また、最近友だちの2歳の子どもに「たこやき!」と名前をおぼえられてしまいました。 日本人の子どもにまでちゃんとした名ではなく、たこ臭のする言葉にされてしまうとは・・・ これはもはや私の運命と素直に受け入れるしかないのでしょうか? ![]() 父なる川は降り注ぐ日差しで、黄金色に染まっております。この川のほとりの ある町に住んだのは計8年半、名残惜しくはありましたが、 学生寮を出なければならず、去ることになったのでございます。 ローマの国境防衛軍駐屯地としてはじまり、千年の歴史を誇る大聖堂を中心に カトリックの都市として栄えてきたこの町。騒がしすぎず静かすぎず、旧市街に 立ち並ぶワイン酒場からは、いつも陽気な笑い声が聞こえてきます。 新しく住みはじめましたのは、前の町の川向かい。 相変わらず父なる川は降り注ぐ日差しで、宝石のように輝いております。 ここに来て現在(2009年春)5年と少し。 ドイツ生活も10年をこえてしまいました。 郷愁の念は消しがたく、故郷日本を夢に見る毎日ですが、 まだしばらくはこの地を去ることはないでしょう。 川を渡っただけなのに、前の町とはがらりと変る町並み。 戦災を免れたこの町には、趣のある古い建物が立ち並んでおります。 この町の起源は、前の町のローマ軍の傷ついた兵士達の療養地として、 浴場が築かれたことにあります。その後は某侯爵のお膝元で発展し、 現在でも保養地としてその名をとどろかせております。 クアハウス(カジノ)へと続くメインストリートには高級店が建ち並び、 年に一度、ドイツ最大のStrassenfestが6月に行われます。 また、この町の州立歌劇場は大変美しい内装で、 音楽総監督には日本人の方も就任されていたことがあります。 ![]() ![]() 幼い頃から、私は欧米人が好き!でした。大きくなったら金髪碧眼に なる!などと考えていた時期もございました(頭の中には「キャンディ・キャンディ」があった模様)。実家の家業の都合上、外国人のお客様が多く、特に欧米人の日本人とはかけ離れた容貌と行動に興味をそそられたからです。それが無理だと分かってからは 欧米に住みたい!と思うようになります。 こう書くと「アホっぽい」とか、 「外国人好きのアーパー女」とか思われるようですが、 異なるものに興味を持った事が渡欧のきっかけというのは多くの人に当てはまる事ではないでしょうか。それをいちいち隠すのもおかしな事でしょう。 幸運にも願いはかない、今こうしてドイツに住んでおります 。 「ドイツ」自体に憧れた事は一度もなかったのですが、成り行き上ドイツに住むことになってしまいました。 私は中学から大学まで、エスカレーター式の学校に通いました。中学、高校の 時におそわったキリスト教の知識は、ドイツでの生活をより興味深くしてくれます。 そして、大学が私に提供してくれた交換留学制度がなければ、今の私はまったく 違った人生を歩んでいたでしょう。私は私の母校をこよなく愛しております。 大学で私が専攻しましたのは、西洋文化史でございます。第2外国語の選択肢は ドイツ語かフランス語しかありませんでしたので、交換留学制度のあるドイツ語を えらびました。 師に恵まれ、4回生の時には交換留学生としてドイツで1年学ぶことになります。 この1年は言葉でいいつくせない程素晴らしいものであり、帰国後も再びのドイツ留学を 目指すようになったのです。 両親の反対などもございましたが、私の意思は岩のようにかたく、終に再留学を はたし、現在にいたっております。将来のこと(日本語教師になりたい!)を考えて専攻を変えたので、 今は言語学専攻でございます。 現在めでたく大学を卒業し、大学講師職で日々の糧を得ております。 ![]() ![]() 園芸が私の趣味でした。庭いじりです。 日本の庭には、節操なく いろいろな草木を植えたものです。今はもうない私の庭。ハーブガーデンなども つくっておりました。ドイツでは庭がないため、人の家の庭を眺めるだけで満足 しております。いつか庭つきの家にすみたい。。。 ↑のように思っておりましたら、2008年に一応庭のようなもののある家に引っ越せました。 庭に来るクロウタドリに干し葡萄を与えて和ませてもらっています。 日本の大学時代には茶道同好会に所属し、点前指導などもしておりました。こんなことが ドイツにきてからとても役に立つなんて思いもいたしませんでした。 寺社仏閣も大好きで、 日本の学生時代はヒマさえあればお寺を訪ねておりました。 美しい仏像をみると気分がとふわふわいたします。 ドイツにいて日本の何が恋しいって、美しいお寺の風景なのでございます。 ドイツでの一番の趣味はハンドベルです。 なにしろ大変珍しい楽器でございますので、色々な行事によばれ、 めったにできない貴重な経験をする事ができます。 読書がとてもすきです。本を読まないと寝つけないのでございます。ドイツにきてからというもの、 日本語の本に餓えており、親切な友達がおくってくれる本だけが楽しみです。 ある時、友人によってドイツミュージカルに目覚めさせられてしまいました。 それまでは時々おとなしく観戦するだけだった私が、 演目ではなく役者で観劇予定を決め、楽屋待ちまでするようになってしまったのです。 いったいどこで人生踏み外したのでしょう??? ・・・でも全然後悔はいたしておりませぬ。 こちらでは気軽に役者さんとお話できるのが魅力でございます。 こちらに来てからというもの、毎日のバー通いが習慣でした。 バーと申しましても住んでいる寮付属の学生バーでございますので、 怪しいとか危険ということは ないのです。 私のドイツ語はここで鍛えられました。 しかし、学生寮を引っ越して以降はバーに行くこともなく、 一人自宅で晩酌なぞいたしております。さびしー。 最近は日独交流に力を入れようなぞと、 「ライン・マイン独日友の会(仮称)」 などというものを作ってみました。 ライン・マイン地域関係者でご興味のある方は、どうぞお入りくださいませ。 それでは引き続きHPのほうも御覧くださいませ。。。 |